論文英語の差別問題

我々日本人が学術論文を発表する際、誰にとっても大きな障壁として立ちはだかるのは「英語」であると思う。少なくとも私の分野では、研究成果は英語論文として国際学術誌に発表しなければ研究業績としては評価されない(職に応募する際に、競争的になれないという意味)。もちろん日本語で論文を書くほうが意味をなすことも多いが(生物多様性保全の分野など)、若手がそれをやると職に就けずに路頭にさまようことになる。しかし、私を含め多くの学生は大学院に入るまでそんな事実など知らないし、私も修士課程に入学当初、ポスドクの人が英語で論文を書き上げているのをみて仰天した覚えがある。絶対できないと思った(実際やればできるのだけど)。この問題は経験を積むにつれ解消される部分もあるが、やはり英語を母国語とする人の文章にはかなわないところは当然ある。論文を投稿し、内容の新規性は認められつつも英語の拙さを理由にリジェクト(掲載不可)されることも確かにある。先日、このことを差別として強く批判する内容がMLに流れており、それをみて思うところがあったので書き残しておこうと思う。 先に述べた「論文英語の差別」問題と必ずしも同じではないが、海外に住むと言語による疎外感、差別感を感じることは少なからずある。私は2017年からJSPSの海外学振の制度を利用してミネソタ大学に2年と少し在籍し、2019年の8月からはUNC Greensboroで働いている。渡航前から多少は英会話に慣れておいたつもりではあったが、やはり現地で支障なく生活するには遠く及ばない。4年目を迎えた今でもコミュニケーションがうまくいかないときがある。こういう時、相手を気遣いながら会話をしてくれる人もいれば、あからさまにめんどくさがる人、なかには嘲笑の笑みを浮かべながら話してくる人もいる。大体後者に真に優秀な人はいないので、そういう人とは単にお付き合いしないようにすれば済む、、、とも思えるのだが、そういう人が部署の要職についていたり、研究資材のお得意先だったりすると非常に困る。耐えるしかないのだ。 と、ここまでであれば単なる「海外生活って大変だよね」という話で終わる。しかし、この経験を踏まえたうえで自分が日本にいた時の経験を振り返ると、とても恥ずかしい気持ちになる。日本の大学にも他の国からくる留学生が多いが、彼ら・彼女らの立場になって何が大変かを考えることができていたかどうかというと、全くできていなかった。自分が米国に来た時、ただ運転免許証をとるだけでもやたら難しく感じたし、車の路上トラブル時にきちんとAAA(米国版JAF)を呼べるかどうか、病気になったら病状をきちんと説明できるかどうか、床屋できちんと「短めでお願いします」といえるかどうか、税金の手続きは…あげればキリがないが、あらゆることに形容しがたい不安が伴う。「当たり前」が「当たり前でなくなる」ことに対する不安なのだと思う。これは経験して初めてわかる類のストレスである。私の場合、言語が英語なのでなんとかなる部分が多いが、日本に留学してくる人は日本語で対応しなければならないし、書面も日本人にすら不可解なものも多い。こうした中で、留学生の人たちがどう耐え忍んでいるのか、想像するだけでもつらい。日本人の留学生への理解度についてみても、米国のそれよりも遥かに劣っているだろう。いつぞや、日本語が話せないまま運転免許試験を受けにきた中国人がおり、その人が日本語を理解できないのをみるにつけ、「これだから、、、日本語できるようになってから来てくれないと困るねぇ」と厭味ったらしく罵声を浴びせた試験官がいたこと思い出す。私が仮に米国でこんなことを言われたら、間違いなく死にたくなる。 話を元に戻すと、先の「論文英語の差別問題」には、この要素が大きく関与していると思う。英語話者の人たちは、非英語話者がどういう英語環境に置かれているかのまったく知らないのである。ある時、日本人の大学院生は論文英語の読み方から指導が始まる、みたいのことを飲み会で話したら、同僚は腰を抜かすほど驚いていた。それほどまで言語の壁は大きいということに、英語話者は気づいていない、あるいは知る機会がない。これはうえで述べたように、「日本から出るまで海外で住むことのつらさをまったく想像できなかった」のと一緒で、経験しないとそのつらさはわからない。 被害者側になると、いかにその問題が大きなものであるかを認識することができるが、する側に「そんなつもりはない」ことが多い。「論文英語の差別問題」を考えるとき、この問題意識の改善から行っていかないと、根本的な問題の解決にはつながらない。つまり、英語話者に、英語の通じない国で長期生活してもらうくらいのことをしないとわかってもらえないと思う。だからこそこの問題は根深く、いつまでたっても改善しないのではなかろうか。だからといってこの問題を放置していいとは思わないが、自分たちが一方的な被害者であることを主張するくらいならば、今一度、自分がしてきたことを振り返り、そこから改善策を探るというのも悪くはないのかもしれない。なにも思いつかないけれど。

July 20, 2020 · Akira Terui

日本という国の閉鎖性

UNC Greensboroに異動してから3か月がたち、モノがわからないなりに何とか回している(と信じたい)。最初のセメスターはラボの立ち上げということでTeaching offになっているのだが、結局代行などでちょこちょこ教壇に立つ。手探りで授業をしてみると案外できることがわかり、次のセメスターも何とかなりそうだという感覚が得られつつある。しかし、ラボスペースの改修工事が遅れに遅れ、やっと10月の終わりに荷物を運びこんだ。この段ボールの山を整理しなければならないと思うと気が滅入る。 さて、現状はこんな感じなのだが、この数か月の間で「日本の閉鎖性」を改めて感じさせられることがあった。今回この研究室を立ち上げるにあたり、日本と海外の繋がりの要になるような場所を作りたい‐そんな風に考えていた。日本の人材を学生やポスドクという形でリクルートし、国際交流の活発なラボにできればと妄想していたのである。しかし、この考えが甘いということにリクルートし始めてから気づいた。そう思った経緯を書き残しておきたい。 そもそも、なぜ日本人のリクルートを頑張りたいと思ったかというと、理由は二つある。一つ目は、日本人が平均的に見て能力の高い人材が多いこと(特に数学)。二つ目は、自分自身「海外に行きたい」と強く思いながらも、キッカケが作れずに思い悩んでいた時期が長かったので、そんな人の手助けになる場所にしたいということがあった。マヌケな私は、「博士課程の学生、あるいはポスドクとして人材をリクルートすればよい」-そう単純に考えていた。アメリカ向けのMLやJob Boardだけでなく、日本向けのMLにも情報を流して応募を待った。博士課程の学生については、アメリカ国内だけでなく、ヨーロッパやアジア諸国からも応募があった。しかし、日本からの応募はないどころか、問い合わせすらなかった。 単純に、海外に行くのに日本人PIのラボで研究するなんて、ということだったのかもしれない(あるいは私があまりに魅力がなかったか)。しかし、もしこれが海外進出に対する日本人の姿勢を少なからず反映しているとしたら、それはとても残念な状況だと思う(以後、そう仮定して話を進める;異論は認めない)。むやみに海外に出たほうがいいとは思わないが、「海外も視野にいれて進学先を選んだほうがいい」のは真実だろう。なぜなら、海外のほうが日本より優れている点は多々あるし、学生の内に海外に出るほうが人脈形成の点からみても利点が多いからだ。例えば、アメリカの大学院のプログラムは給与を支払うのが一般的なので(私の大学では$25000/y+学費免除)、経済的な面で言えば日本の博士課程よりもよっぽど心配がない。そのほかにも、学生時代の繋がりはその後の人生を非常に豊かにしてくれると思う。私は30歳でポスドクとしてアメリカに来たけれども、やはり学生時代にしかない感覚があるように思う。 どうして、日本の学術界はかくも閉鎖的なのか。上に書いたことと矛盾するかもしれないが、たぶん、日本の学術界は「十分優れている」のだと思う。要するに、海外に出ずとも研究成果を世界に向けて発表することは可能であるし、(競争があるとはいえ)他のアジア諸国に比べれば研究職は多い(はず)。個人の努力と才覚次第では、NatureやScienceも十分狙えるのだ。ふと、こう思うこともある。「著名な学術雑誌にいい論文を発表することに特化する」、これも一つの戦略なのでは、と。 しかし、私が一番研究をしていて「楽しい」と感じた瞬間は、「その研究、面白いね」と生い立ちも使う言語も違う人から言われた時だった。ああ、これまでの人生で全く接点がなかったのに、同じものを見て面白いと思えるんだなぁ、と。そもそも、研究の根幹には「客観的知識・知見の共有」があり、それはコミュニケーションに他ならない。「いい雑誌に論文を載せる」という「作業」に特化したとき、そこに研究することの楽しさがどれだけ残されているのだろうか。日本の研究の質は高いし、面白いと思う。しかし、何か「日本が置き去り」にされている感覚がぬぐえないのは、母国語以外で研究成果の共有を強いられる中で、研究の「コミュニケーションツール」としての機能が損なわれた部分があるからではないだろうか。閉鎖的な大学や研究環境を改善しない限り、こうした傾向は強くなるのは確かだろう。それがいいことなのか、悪いことなのか、私にはわからない。ただ、いたい場所かと問われると、それはどうなんだろうと思う。

November 3, 2019 · Akira Terui

海外で研究職を探す:ファカルティ応募編

Summary 選考の流れ 書類審査 Cover Letter Research Statement Teaching Statement Diversity Statement Reference Online Interview Campus Interview 終えてみて Summary 海外学振が2年目に差し掛かったところで、そろそろ次の職を探さないとまずいと思い、ファカルティポジションに応募することにした。いつプータローになるかわからないという恐怖におびえながら、海外のファカルティポジションに応募した自分の経験をまとめてみたい。 選考の流れ 海外学振の研究員としてアメリカで1年暮らしたころ、ファカルティへの応募を考え始めた。しかし、アメリカでファカルティポジションに就いている自分の姿をイメージすることが全くできなかった。というのも、言語に関する自信がないこともあったのだが、それ以上に大学の教育システム、文化に対する理解もとても十分とは思えなかったからだ。しかしながら、日本のアカデミアの状況が良くなるようにも思えなかったので、自信はないもののとりあえず出してみようと決意した。 アメリカの場合、(1)書類審査、(2)Online Interview、(3)Campus Interviewの3段階の選考がなされることが多い。100通(普通の大学)から300通程度(トップの大学)の応募書類のなかからOnline面接に呼ぶ候補者を決め(10-15人程度)、さらにOnline面接を通じてCampus面接によぶ3-4人の候補者を選ぶ。いずれも全く知らないものばかりであり、書類審査を通ったとしてもその後の面接を潜り抜けられる気は全くしなかった。蓋を開けたら何とかなっていたのだが。 書類審査 アメリカのファカルティポジションに応募する際には、大体次の書類が求められる。 Cover letter CV Research Statement Teaching Statement Diversity Statement Reference はて何を書けばいいやらという感じである。Diversity Statementに至っては頭から湯気が出る。幸い、友人や先輩らがサンプルとなる書類をシェアしてくれたので、これらに何を書けばいいのか大体検討をつけることができた。また、THE PROFESSOR IS INという本には非常に役立つ情報が満載である。書き始める前に一通り読むと時間を節約できる。 Cover Letter この書類は選考委員会が一番最初に目を通す書類なので、自分がいかにそのポジションにフィットしているかを端的に記す必要がある。簡単な自己紹介から始め、自分のスキルや経験がいかにポジションにマッチしているのかを書く。もし予算獲得歴や教育歴があるのならば、そういった側面も積極的に売り込んでいくのがいいのだろう(私はほとんどなかったので特に書かず)。Cover Letterがひどいと、おそらく他の書類をきちんと見てもらえない(アメリカ、Ecologyの分野では、1つのポジションに対して最低でも80-100倍の応募があるので)。最初の1-2パラグラフでガツンとアピールできる書類を準備したい。 Research Statement 1-2ページの長さで、仮に着任できたらどんな研究プロジェクトを展開するのか書く。比較的書きやすい部分ではあるのだが、(Research Universityであれば)一番がっつりみられる部分でもあるので、気合を入れて書きたい。特に大事なのは、大学の施設、これまでの自分の経験、今のFacultyメンバーなどを顧みながら、現実的かつ魅力的なプランを書くことなのだと思う。どんなに他の書類が優れていても、ここで非現実的なプランが書かれていたら(非常に特殊な研究施設が必要など)それだけで落とされてしまうだろう(と誰かが言っていた)。一方、大学側が特定の研究施設の利用を期待しているような募集のかけ方をする場合もある。その場合、そうした施設でしかできない研究プログラム(そしてそれを支える経験)を提案できればかなり強い、たぶん。また、アメリカのファカルティポジションは研究室を運営できる人間を探しているので、その点も意識しながら(つまり、学生をどう巻き込んでいくのか)書く必要もあるのだろう。 Teaching Statement 日本で教育を受けてきた人は、Teaching Statementを書くのにえらく苦労するはずである。というのも、通常、アメリカではPh.D在籍時にTAとして授業の一部を担当するのが一般的であり、この経験をもとにしながらTeachingに対する基本的な考え方やアプローチをつらつらと書くのが普通だからだ。私の場合、全くといっていいほどTeachingの経験はなかったが、ポスドクの時にInformalなジャーナルクラブなどを主宰していた経緯に触れながら、どう授業を展開するかを書いた。やはりここでも、自分の経験に基づいて書くことが大事らしい。素晴らしく見えるTeaching Planを書いたとしても、経験に基づかないものは「机上の空想」として捉えられるということなのだろう。この書類を書く段階になり、Teachingの経験をまったく積んでこなかったことを後悔した。 Diversity Statement これは最近の潮流のようで、この書類が要求される場合が多くなっているようだ(まだないところも多い)。この書類では、Minority(Native Americanなど)である人たちにとって公平な研究環境をどう作っていくのか、というのが見られるようだ。個人的に、これはInternationalな人間が強みを出しやすいところだと思う。というのも、例えばアメリカに来た日本人は、「日本で超大多数派(日本人)に属した経験」、そして「アメリカで外国人という少数派に属した経験」の双方を持つので、この点で他の候補者から差別化を図れる。...

September 2, 2019 · Akira Terui

海外で研究職を探す:ポスドク格闘編

Summary メリット ネットワークが広がる 全く異なる生態系 興味の収斂という面白さ 少数派体験 デメリット 言語の壁 文化の壁 VISA 地の利のなさ 社会保障 海外ポスドクをもっと楽しむために 日本人コミュニティーに「適度」に参加 いいルームメイトを探そう わからないときは「わからん」という 備えあれば憂いなし Summary 海外学振を獲得し、晴れて海外で研究する機会が得られた。2017年4月、トランクひとつでミネソタに乗り込む。しかし正直なところ、過剰に期待していたためか、はたまた自分が機会を活かし切れていなったためか、やや生煮え感の残る海外ポスドクだったような気がする。ここでは、アメリカのミネソタ大学という一事例ではあるが、メリット、デメリットについてまとめてみたい。 メリット ネットワークが広がる 一番のメリットは、研究のネットワークが大きく広がることだろう。日本という極東の島国は、少なくとも私の研究分野では「世界の中心」とはいいがたく、あらゆる面で隔離されている事実を目の当たりにする。ミネソタ大学のEEB(Ecology, Evolution, and Behavior)では、週一でセミナーが開催されており、これはなかなか刺激的である。また、日本ではあまり見ないが、招待講演者が来ると必ずといっていいほど1対1のミーティングの時間が設けられる。こうしていろんな人と「顔見知り」になることが、アメリカでのキャリア形成の上で非常に重要な意味を持つようだ。 全く異なる生態系 これはメリットでありデメリットでもあるのだが、海外の全く異なる生態系を見られる。これは多くの生態学者にとって非常に魅力的なことだろう。私の場合、淡水二枚貝の研究をしていたが、北アメリカは淡水二枚貝のメッカともいうべき研究フィールドである。こうしたシステムで研究をできたことは、仮に日本に戻っていたとしても大きな財産になったように思う。 興味の収斂という面白さ アメリカと日本という全く異なる環境で育ってきたにも関わらず、同じ対象種・研究トピックに興味を持ち、ある一つのゴールに向かってともに研究を進めるというのは非常に刺激的な体験だった。 少数派体験 これはデメリットとして挙げた言語や文化の違いとも関連するが、「少数派体験」ということに焦点を当てるのであればメリットだろうと考えている。アメリカに来るまで、日本がいかに「単民族国家」であるかを理解できていなかった。要するに、単民族であるがゆえに、少数派外国人に対する無意識の差別を認知できていなかったのである。アメリカに来て、「お前らが当然と思っていることは俺にとっては当然じゃないんだよ!」なんて思うこともしばしばあったが、日本にいたころの自分を思い返すと、それはそのまま自分が留学生にしてきたことと同じだったように思う。日本人は、アメリカ人のいうMinority(たぶんOverrepresented Minorityとかかな)とは違う位置づけなのだが、それでもなお自分の過去を振り返り、後悔するには十分すぎる経験が得られる。 デメリット 言語の壁 当然ながら、英語の壁には苦労する。飲み会にいっても会話に入れない、研究の話がうまく伝わらない、電話が怖い、などなど挙げればきりがない。経験上、アメリカのドラマを字幕なしですんなり理解できれば全く問題ないと思う。ちなみに私は、在米二年+でまだここには至っていない。ちなみに筆者の現在の英語レベルは(ディズニー;8-9割わかる、普通のドラマ;5-7割わかる、法律関係のドラマ;死亡) 文化の壁 言語の壁と同等の壁といえるかもしれないのが「文化の壁」である。一番しんどいと感じるのは、「ナイスガイであれ!」的な無言のプレッシャー。アメリカ人はみな、快活で陽気みたいな印象があるかもしれない(How’s it going?から始まる朝の爽やかな会話とか)。しかし勘違いしてはいけない。あの快活さの50%は「ナイスガイであれ!」という無言のプレッシャーから来ているのだ。もし会話の中で、「こいつどうでもいいこと言ってるな」と思ったとしても、そこはにこやかに「Sounds good!」とか「Wonderful!」と返しておこう。 VISA ナイトメア。こればかりは避けては通れない。ほかの国の事情は知らないが、アメリカのビザは非常に煩雑で、これ以上にストレスのかかる作業はない。ビザ関連の作業をするたびに、母国に住むことのありがたみを噛み締めることになるだろう。 地の利のなさ これは私の分野特有の話かもしれないが、アメリカでのフィールド調査は想像以上に「前準備」が大変である。例えば、魚の調査をするとしよう。IACUC(Institutional Animal Care and Use Committee)をパスしなければいけない、フィールド調査をする場所の許可申請が面倒(特に私有地の場合)など。いったん慣れれば大丈夫なのだが、こうした手続きのLanguageにも慣れていない分時間がかかる。そもそも誰に聞けばいいのかわからないことも多い。 社会保障 当然ながら、社会保障のクオリティは国によって大きく異なる。アメリカに関していえば、「糞」である。そもそもプランが複雑すぎてどうなっているのかよくわからない、歯医者高すぎ、などなど、挙げればきりがない。本当に海外出るかどうか、こうした社会保障の側面を考えておくことはかなり大事だといまさらながら痛感している。...

August 25, 2019 · Akira Terui

海外で研究職を探す:ポスドク応募編

Summary 応募先の探し方 応募書類の準備 インタビュー 事の顛末 Summary 立志編につづく、海外ポスドクポジションへの応募に関する記事。フェローシップと通常の募集へ応募したときの経験を書いていきたい。 応募先の探し方 海外での研究場所を探す場合、日本人は海外学振制度を利用していく場合が多いだろう。しかし、これはそれなりに競争率が高いので、これだけでは実現できないことも多い。そこで、海外学振への応募に加え、雇われポスドク(PIのもつグラントで雇ってもらう)のクチでもポジションを探すことにした。 上記二つのアプローチでは、とるべき行動が大きく異なっていた。フェローシップの受け入れ先探しでは、自分が働きたいと思うラボのPIと国際学会などで話し、面識を作っておくことが大事だろう。私の場合、かねてより論文を読んでいた研究グループのPIが招待講演でたまたま来日する機会があり、その際に面識を作ることができた。いったん面識ができ、かつ人格的に問題がないことがわかれば、(よっぽど変なことをしない限り)受け入れを断られることはまずないだろう。なぜなら、予算として一番かさむのは人件費なので、その部分を持ってきてくれるポスドクは居て得はあっても損はないからだ。もし学振DCなどの予算を持っている人であれば、将来受け入れ先になってくれそうなPIに自分から連絡し、博士課程在学中に短期滞在などをしておくのもいいのだろう。 一方、雇われポスドクのクチを探す場合は、自分で積極的にポスティングを探す必要があった。私が北海道大学でポスドクをしていたころ、スペインから着任した新しい助教の方がおり、彼がいろいろアドバイスをくれた。その時の情報を整理すると、生態学分野では概ね以下の三つの情報ソースがあると思われる。(1)ECOLOG:アメリカ生態学会のML。メールがアーカイブされているので、過去にさかのぼって探すことができる。時期を問わず、ポスドクの募集が行きかっているので、ここは随時チェックしたほうがいい(のちのエントリーで書く予定のテニュアトラックポジションの募集も多い)。(2)学会のJOB BOARD:大体の学会では、公募に関する情報を載せる掲示板が用意されている。自分の分野に近い学会であれば、興味にあうポジションも探しやすい。(3)個人のツテ:個人のツテを通じて回ってくることも多い。ただし、これはすでに海外とのコネが強い人に限られる術だろう。 応募書類の準備 雇われポスドクのポジションを探す場合、応募先にあたりをつけて応募するぞ!となるのだが、ここでもう一度壁にあたった。募集要項を見ると、CV(履歴書)、Cover Letter、References(推薦者)の提出が求められる。CVとReferencesはまだいい。しかしCover Letterには何を書けばいいのか皆目見当がつかない。 Google大先生に聞くと、実は結構な量のカバーレターの例が出てくる(cover letter, postdoc, example, ecologyなどでググる)。例を見ていくと、多くのものは以下のポイントを押さえているようだ。(1)まず自己紹介し、アプライ先の研究プロジェクトに興味があること、自分の能力がマッチしていることを端的に記す。(2)つづいて、なぜ自分がマッチしているのかを、スキルや経験を上げながら具体的に説明する。この際、これらのスキルを得た経緯(博士課程の中で、ポスドクの中で、TAをしながら、などなど)に触れておくと自然に見える。(3)最後に、チームワーク力にも言及しておくとなおよいようだ。 以下に、実際に自分のつかったカバーレターを例として置いておこうと思う。 Dear Prof. XXX I saw an advertisement of postdoctoral position at your laboratory on ECOLOG-L, and I wish to apply for the postdoctoral position. I have been trained as a freshwater ecologist, but I am very interested in how individual variation has repercussions on ecosystem-level processes....

July 31, 2019 · Akira Terui

海外で研究職を探す:立志編

Summary 初めての国際学会@にゅーじーらんど 帰国後-とりあえずトレーニング 立ちはだかる壁 Summary 2019年、アメリカで運よくテニュアトラックポジションのオファーをいただくことができ、8月からノースカロライナで研究室を立ち上げることになった。日本で学位をとった私にとって不可能と思えることばかりだったが、気が付いたら何とかなっていた。記憶が褪せる前に、その過程を記事として残しておこうと思う。この記事は「立志編」ということで、海外にでようと思ったキッカケを中心に書いていきたい。 初めての国際学会@にゅーじーらんど 海外に出てみたい、という気持ちが確かに芽生えたのは、2011年に初めて参加した国際学会の時だと思う。この時、私は博士課程1年だったが、国内の研究の世界しか知らなかった私にとって衝撃的な体験だった。 その国際学会はSociety for Conservation Biologyの年会で、世界各国から保全生態学の第一線で活躍している研究者が集まる。当時、修士課程の論文が出版されたということでこの学会(ニュージーランド、オークランド)に参加したのだが、周囲のレベルの高さ(あるいは高そうに見えること)に圧倒され、自分がここにいていいものか、とさえ思ってしまった。基調講演はさることながら、学生発表賞のプレゼンも洗練されていて、まるでTEDトークのようなものが多かった。ああ、これが国際レベルの研究環境なのか!(のちに英語がある程度堪能になり、実はたいしたことがない場合も多いとわかるのだが。) しかし、それまで英語によるコミュニケーションをまったく訓練してこなかった私は、周りが何を話しているのか全く理解できない。発表もすごそうなことはわかるのだが、「すごそう」以上のことはわからない。ポスター発表をしたのだが、ほんの数人しか聞きに来ず、来たとしても片言の英語ではまったく意味のある会話ができない。あまりにも緊張してパニックに陥った私は、“Where are you from?”という簡単な質問に対し、“I’m Japan!”(私は日本です!)と答えた記憶がある。英語論文を(マイナーなジャーナルの)紙面で発表し、ノミ程の自信を持ち始めたころだったのだが、それはあっけなく踏みつぶされ、「ああ、自分は国際的な研究の輪の中に入ることはできないのだ」と悟った。研究は論文が命といえど、結局のところ顔を合わせたコミュニケーションがものを言う。いかに自分が「世界」から取り残されているかが痛いほどわかり、打ちひしがれた記憶がいまだ鮮明に残っている。 帰国後-とりあえずトレーニング ショックを受けて帰国した私は、すぐさま英語コミュニケーションのトレーニングを始めた。当時東京大学の大学院(農学生命科学研究科)に在籍していたのだが、大学内で英語コミュニケーションの場を探すと、驚くほど機会が用意されていた。特に、東京大学工学部は留学生が多く、毎週火曜と金曜には留学生を交えたランチタイムがあった。早速その場に突っ込んでいき、話せないながらも英語による会話に慣れようと必死になった。また、週二回(各回1時間程度)では圧倒的に会話量が少ないので、同時にSkype英会話(比較的安価;当時は毎日30分で月5000円だった)を通じてトレーニングするようにするのと、「レッツスピーク」という英語のディクテーション(音声書き取りのトレーニング)をできるだけ毎日するようにした。 【中古】NHKラジオ英会話レッツスピ-クベストセレクション NHK CD book /NHK出版/岩村圭南 (単行本) 価格:616円(税込、送料無料) (2019/7/29時点) 楽天で購入 結果、2年後の国際学会ではある程度コミュニケーションが取れるようになり、より国際学会を楽しめるようになった。また、副産物として、このころから英語の「書く」能力も飛躍的に改善された気がする。感覚的に、英語の「変な表現」がわかるようになってきたのだ。論文を書く効率も上がったのではないかと思う。2019年現在、言語の壁はいまだに大きいと感じるが、この時の時間は確実に今に繋がっている。 立ちはだかる壁 しかし、博士課程在学中、私は自分で望んでいたほどの研究業績を上げることは叶わなかった(英語論文は主著2本)。ポスドクでは海外に!と意気込んでいたのだが、それどころか国内での任期付き研究職につくこともおぼつかない状況だった。幸い、当時交流のあった教授の先生に拾ってもらい、そのポスドク期間にある程度業績を上げて海外への道が開けたのだが、その道のりも平坦ではなかったように思う。次のエントリーでは、海外ポスドクポジションへの応募の過程を書いていきたいと思う。

July 30, 2019 · Akira Terui

恥ずかしい英語の間違い

Summary No thanks What are you working on? Everything XXXgraXXX Can I borrow a restroom? Summary アメリカに来て二年が経ったが、いまだに恥ずかしい英語の間違いを繰り返してばかり。そんな失敗談のまとめ。 No thanks だれも知り合いがいない国際学会に一人で参加し、Burger Kingに行った時の話。当時(博士課程2年)、英語がおぼつかないながらも何とかハンバーガーを注文し、席で普通に食べていた。そうすると、店員の人がテーブルを回りながらお客に声をかけている。 “How XXXing?” 断片的にしか聞き取れていないのでなんのやり取りなのかさっぱりわからない。そしてついに私のテーブルにも来て、何やら同じようなことをしゃべりだす。何を言っているかわからない。だけど何か返さなければならない。そんな中、私は必死になにか手掛かりとなる情報を探し、その店員さんがケチャップとマスタードを持っていることに気が付き、これは「ケチャップいる?」とかその辺を聞いているに違いない!と合点した。味はしっかり濃い目だったので、調味料の類はいらないと思い、自身満々でこう答えた。 “No thanks” 周りの人たちが「ぎょっ」とし、店内の空気が凍ったのを覚えている。店員はバツの悪い笑顔を浮かべて去り、なにかこちらを睨みつけながら他の店員と話している。いったい、なにが起こったのだ。 あとあと思い返すと、おそらくあれは “How is everything?” と話しており、「ハンバーガーどう?」みたいに聞いていたのだと思う。それに対して私は、「全然ないわ」みたいな返しをしたことになる。ああ。 What are you working on? ポスドクの飲み会があり、それに参加して話していた時の話。目の前でビールを飲むブラジル人のポスドクがいたので、なんの研究をしているのか聞いてみようと思い、“What are you working on?”と聞いた。そうすると、 “I’m working on beer.” と返ってきた。確かにそうだ。彼はビールを飲んでいる。無意味に現在進行形にしてはならないことを学んだ。 Everything 同じ部屋にいるポスドクにペンを借りようと思い、声をかけた時の話。貸して、というと(パンパンのペン立てを見せながら)どのペンがいいと言ってきたので、どれでもいいよ(Anything)、というつもりで “Everything” と答えてしまった。今でも恥ずかしい。 XXXgraXXX アメリカに住んで1年半がたち、次のポジション探しをしていた時の話。海外学振の任期は2年間なので、そろそろ次の当てを見つけなければならない。そう思い、アメリカと日本のポジションに応募していた。アメリカのポジションはすべてOnline Applicationなので楽なのだが、日本のポジションは海外からでも郵送で応募しなければならない。その時、応募書類のデータをCDに入れて送ってください、とするポジションがあり、(それだったらメールで出させてくれよ、とか思いながら)USPSの事務所に郵送手続きに向かった。 受付の姉ちゃんに封筒の中身は何だと聞かれCDだと答えると、「~でないこと」を証明する項目に署名してくれといわれるが、~の部分がXXXgrXXX contentsとしか聞こえず、「え?え?」と聞き返しまくった。そうすると、姉ちゃんの機嫌はどんどん悪くなってゆく。そこで目を落として書類を見ると Pornographic と、書いてある。あぁ、そうか。エッチなDVDを国外輸送されると困るから、そうではないことを証明してくれといっていたのか。どうやら私は、USPSの受付の姉ちゃんにPornographicを連呼させるという離れ業をやってのけたらしい。ごめんなさい。 Can I borrow a restroom?...

June 3, 2019 · Akira Terui

J1 Visa: Two Year Ruleの落とし穴

Summary J1ビザの帰国義務(2年ルール) 適用?それとも非適用? 帰国義務免除申請へ 学振渡航者の適用率 脚注 Summary 現在J1ビザでアメリカに滞在している私は、8月から始まる新しい職に就くためにH-1Bビザに切り替える必要があった。しかし、この関係で非常にややこしい問題にぶち当たった。J1ビザに伴う帰国義務(2年ルール)に課されていないものと信じていたのだが、実は課されていることが判明し、H-1Bビザに申請できない状態に陥ってしまったのである。この経緯について、今後同じような問題に陥る人が少しでも減るよう情報をまとめておきたいと思う。なお、以下の記載内容は、筆者の個人的な経験をまとめたものにすぎません。間違いがないよう気をつけましたが、本記事の情報をもとに不利益を被ったとしても一切の責任を負いかねますのでご留意願います。 J1ビザの帰国義務(2年ルール) J1ビザとは、知識の国際交流を目的に創設されたアメリカのビザのカテゴリーであり、その取得の容易さから多くの研究者がアメリカに長期滞在する際に利用している。しかし、その容易さと引き換えに制約がある。それが今回の問題の発端となった2年ルール(Two-Year Home-Country Physical Presence Requirement)である(参照)。このルールは、アメリカで経験を積んだのちに最低2年間は母国で過ごさない限り(もしくは帰国義務免除が承認されない限り)、Hビザやグリーンカードなど、特定のビザに申請できなくなるというものだ。ただし、このルールはJ1ビザで渡航している人すべてに課されているわけではなく、以下の条件のいずれかを満たした人に課されるとされている(アメリカ国務省のWEBページにより;参照)。 Government funded Exchange Program - You participated in a program funded in whole or in part by a U.S. government agency, your home country’s government, or an international organization that received funding from the U.S. government or your home country’s government. Specialized Knowledge or Skill – You participated in a program involving an area of study or field of specialized knowledge designated as necessary for further development of your home country and appears on the Exchange Visitor Skills List for your home country....

April 23, 2019 · Akira Terui